(過去記事) 強いアメリカへ:今まで語られなかった実話 – メブ・ケフレジギがライアン・ホールのサポートでボストンマラソン優勝を果たす

American Strong: The Untold Story of American Teamwork and How Ryan Hall Helped Meb Keflezighi Win Boston

2014年4月22日

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メブ・ケフレジギが、1983年のグレッグ・メイヤー以来、31年ぶりにアメリカ人選手としてボストンマラソン優勝を果たし“30年の呪い”に終止符を打った。このボストンマラソンの日 – アメリカの愛国記念日に、もうすぐ39歳をむかえる(2014年当時)メブは、素晴らしい走りを見せ2:08:37の自己記録で優勝を果たした。

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これはレースで起こったことの全貌だ。ライアン・ホールとその他のアメリカ人選手のサポートにより、メブは月桂樹を頭に乗せ、ボイルストン・ストリートを歩くことができた、ということは、ほとんど知られていない。これは、ライアン・ホールとその他のアメリカ人選手のサポートによりメブが優勝を果たした、というこれまで語られなかった真実の実話である。

メブ以外のアメリカ人選手にボストンマラソンの後に、3位までに入賞できなかった選手でもつかまえて話を聞くのは、決して簡単なことではない。レッツランのファンは、ハードコアな陸上ファンばかりなので、ホテルのロビーでメブ以外のアメリカ人エリート選手を探し回った。選手を見つけて話を聞くと、感動以外の何物でもない話を聞くことができた。

ほとんどの人々は気づいていないだろうが、メブの後ろでゴールしたアメリカ人のエリート選手たちは、このレースで良い結果を残していた。トップ13の中にメブ以外に5人のアメリカ人選手が入った。2:11:47で自己記録を更新し、7位でフィニッシュしたニック・アーシニアガ、自己記録の2:11:57で8位に入ったジェフリー・エグルストン、自己記録の2:12:52で11位に入ったジョファット・ボイト、2:14:28で12位だったクレイグ・レオン、マイク・モーガンは2:14分40で13位に入った。

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このレースで結果が振るわなかったアメリカ人選手が、アメリカ史上一番速いライアン・ホールであった。このレースは彼にとっては2012年のロンドンオリンピック以来のマラソンでのレースで、2011年のボストンマラソンは2:04:58 (非公認記録)で走ったものの、今回が2:17:50の20位という散々な結果に終わっていた。

20位という順位と2:17:50というタイムは、ライアン・ホールにとっては物語の一部に過ぎない。アメリカ人の観点からすると、ライアン・ホールはアメリカ人らしさというものを一番見せた選手だったかもしれない。メブは2位と11秒差で優勝を果たしたが、レースのすべてはメブの優勝のために完璧に進んでおり、長年の友人でありライバルであるメブの優勝を手助けした選手が、実はライアン・ホールだったのだ。

15kmの給水所あたりでメブとジョファットはトップ集団から一歩前に出たが、他の選手はメブに付いていくことはしなかった。メブの自己記録は出場選手の中でも15番目の持ちタイムだったので、メブが前に出ても他の選手は反応しなかった。メブは2:08:00台のペースで走り続けると、彼のリードは徐々に広がり、2:07:00より速いベストタイムを持った選手8人を擁するアフリカ勢も、30km以降までメブに挑戦を挑むことができなくなっていた。

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2位だったウィルソン・チェベットはレース後にその時の様子を語った。トップ集団にいたアフリカ勢は、優勝に向けてペースを上げれば、すぐにメブに追いつけると考えていたという。マラソンのレースで一人だけ前に飛び出る選手は、大体いつも途中からペースが落ちてその後、順位を落としていく。去年 (2013年)の秋のニューヨークシティーマラソンの女子では、ブズネシュ・デバが途中で3分ほど後続集団を引き離したが、結局はペースも順位も落ちてしまった。

トップ集団の選手たちは、マサチューセッツの美しい日を満喫しながら走っていただろう。彼らのタイムからすると、今回のレースはかなりのスローペースで、メブ以外のアメリカ人選手たちも集団について走ることが出来ていた。そのようなことから、アメリカ人の選手同士がコンタクトをとる時間もかなりあったようだ。ニック・アーシニアガによると、

「アフリカ勢はとてもリラックスしていたよ。前を走りながら、惑わすような動きをしたり、いきなり前に出たと思ったら道路いっぱいに広がったり、ただリラックスしていた。僕は1マイルを4:55〜5:20ペースで走っていた。アフリカ勢は、ゲームを楽しんでいるようだった」

集団はペースを大幅に落としたり、だれもメブについていく気はないようだった。それに耐えきれなかったのが、ボイトだ。アメリカ人選手は一定のペースで走っていたが、レースの中盤に、前を走るアフリカ勢に近づいてくると、ペースを維持してアフリカ勢の前に出ようと考えるアメリカ人選手もいた。アフリカ勢の前に出るということは”アフリカ勢のペースメーカになってしまう”ということを意味していた。

もしここで、アメリカ人選手が前に出てしまったら、メブはレース終盤にアフリカ勢に追いつかれてしまっていただろう。一時、1分21秒の差がメブと2位とで開いたものの、ゴールタイムの差はたった11秒だった。メブのリードがあとほんの少しでも少なかったら、ウィルソン・チェベットが2014年ボストンマラソンの優勝者になっていただろう。クレイグ・レオン、ニック・アーシニアガ、ジェイソン・ハートマンなどのアメリカ人選手はアフリカ勢の前に出る準備はできていた。しかし、ライアン・ホールが、それをさせなかったという。

ニック・アーシニアガはこう説明した。

「メブは15kmという速い段階から前に出て、JB(ジョファット・ボイト)もメブと一緒に前に出た。僕は他のアメリカ人選手たちとアフリカ勢と同じトップ集団にいて、15km~20kmはライアン・ホールと一緒に走っていたんだ。集団の少し前を走っていたが、そんなにペースも上げていなかった。ライアンがこちらを向いてこう言ったんだ」

“ペースを上げるな。ここでペースを上げると、アフリカ勢は前に追いつくぞ。アメリカ人を勝たせたいなら、ここでペースを上げるな”

「僕とライアンのレースプランをアブディや他の選手にも伝えた。“このレースでアメリカ人を勝たせるんだ。今日の一番のゴールはそれだ”、とね」

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そして、このプランは完全にうまくいったのだ。すごく些細なことだったが、メブが優勝を果たすには十分すぎる、完璧なレースプランだった。クレイグ・レオンも、同じような物語を話してくれた。

「ある地点でうまく走れなくなりトップ集団から離れてしまったんだ。レース中盤からもう少し経ってからだったと思う。ペースも相当落ち、ジェイソンと僕は別の集団へ入りペースを維持していた。ライアンがこっちを見て言ったんだ」

“メブにもう少しリードを持たせよう。きっとJBと一緒に走ってるさ”

「だから僕たちはスピードを上げなかった。それが手助けになったかは分からないけど、アフリカ勢はメブに追いつくために相当頑張らないといけなかったはずだ。レース中にこんなことを考えられるなんて、ライアンは本当に頭がいいよ。僕らは一丸になってアフリカ勢と戦った。そんな仲間がいてよかった」

「これがライアンという男だ。彼がどんな風に今日フィニッシュしたか分からない。ライアンはメブのことを気にかけていたと思う。そうしよう。すばらしいチームワークだ。ボストンマラソンはアメリカのレースでアメリカ人選手に注目があつまる。すばらしいアメリカチームのチームワークだった」

アメリカ史上、マラソンを最も速く走った男であるライアン・ホールは、ツール・ド・フランスのリーダーのような才覚を発揮した。選手たちは基本的には※個別で契約を結んでいるが、この愛国者の日 (ペイトリオット・デイ)という特別な日に、そしてテロが起こった一年後の大会で、アメリカの選手たちは一つのチームとして、共に戦ったのだ。

(※アメリカでは、ほとんどのプロ選手が、スポーツマネジメント会社やそのマネージャーやエージェントとプロ契約を結んでいる)

この日、一番のチーム戦略を持った国はライアン・ホール率いるアメリカAチームであった。あとは38歳のメブ次第だった。メブは一番辛い部分を自分でやり遂げた。難しいボストンマラソンのコースをネガティブラップで走り抜け、英雄的な優勝を成し遂げた。

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メブのゴールを待つ沿道の人々

昨年の爆発テロの惨劇が、ボストンマラソンを強くさせた。メブの勝利は、アメリカは強いということを世界中に見せてくれた。このアメリカの愛国記念日に、メブはライアン・ホールや他のアメリカ人選手(America’s patriots)からの助けを受け、見事に優勝を果たしたのだ。

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追記:この話を聞いた後に、ライアン・ホールからコメントを取ろうと試みたが、彼のエージェントであるレイ・フリンに、

「レース結果に落ち込んだライアンは早々と空港へ向かってしまった」

と言われた。しかし、この出来事は本当だと認めた。その後…ライアン・ホールはメブの勝利についてコメントを残した。他のアメリカ人選手がペース抑えることになった自分の役割についてもコメントした、彼のツイートには、この記事がリンクされていた。

“Ryan HallのTwitter「昨日のレースは自分が思い描いていたものではなかった。しかし、神が自分に授けた役割は果たせたと信じている」”

 

スポーツ・イラストレイテッドの記者ティム・レイデン(Tim Layden (@SITimLayden)は、その後ライアン・ホールとコンタクトを取り、彼と交わした会話の内容を投稿している。

“それは本当の話だ。最初はニック・アーシニアガ、その次に、違うアメリカ人選手が前(メブとジョセファット・ボイトの後ろの集団から)に出た。そしてペースを上げ始めた。ペースは上げちゃダメだと言い続けたよ。メブにできるだけ差を広げさせようと。もしアフリカ勢がメブを捉えに行くつもりなら、アフリカ勢を手助けすることだけはしてならない。このレースは僕が勝てるレースじゃなかった。メブの勝利は、自分の勝利の次に望んでいたもので、アメリカが必要としていたことでもあった”

ホールは、この作戦についてメブとはレース後に話していないと明かした。

「レースが終わってからメブには会えてないよ。僕はレース後にすぐに飛行機で帰ってしまったからね。彼の優勝は彼の起こしたものだ」

(※ちなみに、メブ・ケフレジギはマラソンの距離にちなんで、自身26回目のマラソンである2017年のニューヨークシティマラソンでの引退を予定している) 42.195km=26.2マイル

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レッツラン記事

http://www.letsrun.com/news/2014/04/untold-story-american-teamwork-ryan-hall-helped-meb-keflezighi-win-boston/

 

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